倶楽部報

ホーム > 倶楽部報 > 2020年秋号(倶楽部員奮闘記 野球部で培った精神を忘れずに)

倶楽部報(2020年秋号)

倶楽部員奮闘記 野球部で培った精神を忘れずに

前田 真作(昭和62年卒 小石川高)

2020年09月25日

IHI、エアバス・ジャパンを経て、ワインレストラン「Shin`s」を渋谷で開業して4年になります。同期には相場勤元監督、3年上には堀井哲也現監督がおられました。入部したとき、堀井さんの今まで見たことのないパワーと、その力強い体形に驚いたことを覚えています。

自分は実績のない1浪の投手で、体力にそこそこの自信はありましたが、球筋が汚く、得意球のフォークもストレートが遅いので効果薄。当時の前田祐吉監督に目をかけられることもなく、下積みの4年間でした。褒められて伸びるタイプなのに、褒められことなく4年が過ぎたようです。

生涯ベストピッチは3年生で上下戦に先発して、猿田和三主将が率いることになる1年下の代を7回1失点に抑えたときのことです。打撃投手はバッティングピッチャーから「バッピ」と呼んでいましたが、さんざんバッピで投げた後に、投げ込み、ウェイトトレーニング、外野のポールとポールの間を走って往復するトレーニング「ポール・アンド・ポール」(PP)をこなした後、ヘトヘトのときに突然、先発することになりました。しかし、ヘトヘトのときが自己ベストとは、自分の投球に繊細さ、キレとかはないのかと悩んだものです。

その3年生の秋、チームは秋季リーグ戦で引き分けの後の10連勝で13年ぶりに優勝し、ソックスに2本目の白線が入りました。そのまま明治神宮大会も優勝し、日本一となります。4年生との「三田食」での別れでは人生で一番泣きました。昭和61年卒の4年生は人格者が本当に多く、10連勝、そして、日本一の原動力だったと思います。

新チームになり、全体練習でのバッピの順番、誰が投げるかを決める役を拝命されます。口先だけでなく自らも投げねばと思い、人一倍多く投げたつもりです。一度、神宮室内でバッピが一人肩痛で足りなくなり、1カ所打ちで60分、10秒に1球として約360球投げたこともありました。

新1年が入学してきて、前田監督から一年投手の体力係も拝命されます。ピッチングではなくもっぱら体力面です。前田監督は「1年生投手の体力を見て、残りの時間で自分の練習もしなさい」と。自分程度の選手に、指導側にまわっても選手としてまだ上がりではないぞ、と気を遣っていただいたことが心に刺さりました。

しかし、4年の春のリーグ戦は早慶戦で9回2アウトから逆転サヨナラ負けをして、連覇を目前で逸します。バッピに直接責任がないとはいえ、早稲田より点が取れなかった責任の一部を感じて4年生ながら頭を坊主にしました。合宿所の廊下で監督に会ってしまい、「あれ、頭どうした」と声をかけてくださいました。上級生のくせに何か悪さでもしたのだろうというぐらいにしか思われてなかったのではないでしょうか。その髪型で就職面接を受けていたので、今より根性がすわっていたと思います。

秋のリーグ戦は勝ち点が伸びず、主力が会議をした結果、打ちにくいという理由でバッピから外されました。練習方法を変えるのではなく、バッピを変えるだけなんて、と思いましたが、リーグ戦中にもめて雰囲気を悪くしてはいけないと考え、受け入れました。これはきつかった。ベンチを外れるとかではなく、バッピを、しかもこの1年間、管理までして一番力を入れたことをクビになるという屈辱。早慶戦前に方針が変わり、バッピに復帰しますが、気持ちは立て直せていなかったかもしれません。早慶戦では春の雪辱を果たしましたが、チームは3位で終わりました。

卒業後はIHIに技術系で就職し、海外5年を含め20年勤めました。もちろん面白くないこと、理不尽な人事もありましたが、あの4年間の下積み、連覇を目前で逸し、ダメ押しにバッピから外される屈辱を経験すると、へこたれることはまったくありません。一晩寝たら忘れます。

42歳でエアバス・ジャパンという外資に転職しました。ボーイング一色の日本航空(JAL)にエアバス機を売るという仕事です。当初は門前払いされたこともありましたが、野球部で培った粘り強さか、5年間めげずに売り込みます。その後の2年、売れそうな雰囲気が出ると、手の平を返したように外資特有の足の引っ張り合いが始まります。日本だけでなく、ヨーロッパからの手柄の争奪戦もありました。謙虚さのかけらもありません。慶大野球部には、足を引っ張る、手柄を奪うという言葉はなかった。これ以上この会社にいるのは自分の信念とは違うと思い、未練もなく退職しました。半年後、31機が売れたときに本国の上司役員から、「調印式のとき、お前を思い出したよ」とメールをもらったのがせめてもの救いでした。

慶大野球部は、謙虚であり、足の引っ張り合い、手柄の取り合いなどはない。互いに練習を助け合い、ベンチに入ったライバルによかったと言え、試合でミスした者を励ました。今でもそうでしょう。現役、若手には社会に出ても、慶大野球部の基本精神として実践してほしいと思います。

退職後、ここ数年やりたかった小さなワインレストランを思い切って開業しました。ワイン資格は持っていましたが、飲食業はまったくの素人です。しかし、好きなことだからつらくても苦になりません。野球と同じです。野球部の同期がよく利用してくれるだけでなく、厳しかった先輩、さらにその上の先輩方までも来店してくださるようになり、もう感謝しかありません。ときには厳しく説教してしまった後輩たち、さらに下の後輩らが口コミで来店してくれて、こんなに嬉しいことはありません。

今、コロナ禍で売り上げは8割減となってしまい、苦しいですが、へっちゃらです。野球部で培ったタフさが生きています。倶楽部員なら誰でもどこかに慶大野球部の素晴らしい精神が信念として常にあり、それが何かしら仕事に反映されていると思います。自分はまだ飲食業界では駆け出しの未熟者ですが、今後とも野球部の精神、信念を忘れずに努力していく所存です。

ページの先頭へ戻る