倶楽部報

ホーム > 倶楽部報 > 2022年秋号(三田倶楽部員奮闘記「野球部で培った精神を忘れずに」)

倶楽部報(2022年秋号)

三田倶楽部員奮闘記「野球部で培った精神を忘れずに」

江端 徳人(昭和61年卒 慶應義塾高)

2022年09月16日

私が慶大野球部に入部したのは1982年。前田祐吉監督2期目の初年度であった。前田監督は優勝から遠ざかった部の変革のために、まずは当時、我々が「常識」として囚われていた考えに大胆にメスを入れる、マインド改革に取り組まれた。

その象徴が1983年春の米国遠征。慶應義塾125周年記念イベントとして「弱いからこそ」と米国遠征を断行。幸運にも私は第三捕手兼通訳としてメンバーに入れていただき、ホスト先となったUCLAのアダムズ監督以下、元大リーガーの一流指導陣に直接触れることができた。雨でキャンセルとなった試合も多かった中、ベースランニング指導や連携プレーなどの基礎練習に加え、バッテリーは近鉄でも活躍されたミケンズ・コーチによる(当時日本でまだ導入されていなかった)チェンジアップやツーシームの投球、牽制球の指導を受けた。

「米国野球はパワーとスピードで大雑把」というイメージとは裏腹に、データに裏付けられた具体的な目標秒数、変化速度値などを示し、シンプルなポイントに絞った指導は印象的であった。また、そうした中、6勝7敗とPac10強豪校を含む相手に善戦できたことは大きな収穫であった。この遠征をきっかけに2年先輩の永田投手は「OKボール」と呼んだチェンジアップをマスターして活躍されたが、私もブルペン捕手として一緒に取り組ませていただいたのは良い思い出である。本遠征の成果は1983年秋の新人戦の56期ぶり優勝や1985年秋の無敗優勝(10勝1分け)、明治神宮大会優勝へとつなげることができたが、前田監督の発案により、参加メンバーは「卒業から3年間、毎年10万円寄付」の仕組みが作られ、3年に一度野球部が遠征に行く原資が確保されたが、「伝統とは、こうして作るもの」と改めて認識した。

野球部時代にもう一つ個人的に大きな収穫となったのは、当時の野球部長、十時先生による社会変動論に関するセミナーであった。4年秋のシーズンが終わると、ゼミにも入らず野球に没頭していた4年生全員を三田の研究室に集め、ネイスビッツの「メガトレンド」など課題文献を購読後にディスカッションする会を数回開いていただき、最終回にご自宅で奥様の手料理と酒豪の十時先生らしく中国の白酒などをご馳走していただいた。十時先生は慶應義塾がビジネススクールを作る際にハーバードに派遣された経験があり、その経験談を共有いただき、「いずれ君らの中からも留学を希望する者が出てくると思うが、推薦状が必要になるので、そのときは相談に来なさい」と言っていただいた。卒業後に就職した住友商事で留学の機会を得た際に、十時先生、前田監督、UCLAのアダムズ監督からそれぞれ推薦状をいただき、スタンフォード大学院に留学することができたが、これも世界に拓くマインドを叩き込んでいただいた十時先生や前田監督のご指導によるものと感謝している。

前田監督には、大学院の合格報告に行った際に、1年生時に捕手にコンバートした私が戦力として貢献できなかったことに楽しそうに触れ、「江端みたいな失敗があるから、チームの成功があったんだ」と、個人的には非常に複雑に想う言葉をいただいた。これこそ前田野球の原点であると心に刻み、この失敗を糧にすることを期待されているものと受けとめることとした。

その後、スターバックス、カゴメとグローバルな農・食品業界に長年、身を置いてきたが、野球部で培ったチャレンジする姿勢や変革を促す考え方をバックボーンに「自分が最も貢献できる領域は何か」を念頭に活動してきた。人生100年時代の次ステージに向け、現在は住友商事でも一緒だった1年後輩のスポーツ心理学博士、布施努君の成果をより広く世の中に還元すべく、スポーツ指導者向オンライン教育プログラムの事業化をサポートしている。布施君は米国遠征時にお世話になったリチャード背古さんのアドバイスを得たことが現在の活動につながっているが、このように諸先輩から指導いただいた資産を次世代に継承することこそ、慶應義塾野球部の伝統であり、我々の責務であると信じている。

ハンガリーのブダペストで仕事の仲間と歓談する江端徳人さん
ハンガリーのブダペストで仕事の仲間と歓談する江端徳人さん(右から3人目)

米国遠征チーム
米国遠征チーム(最後列右から2人目)

米国遠征で堀井哲也・現監督と
米国遠征で堀井哲也・現監督(右)と

ページの先頭へ戻る