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倶楽部報(2023年春号)

三田倶楽部員奮闘記「Enjoy Baseballと私」

三溝 敬志(昭和62年卒 松商学園高)

2023年04月07日

昨年6月、35年間勤務してきたNHKを退職した。初任地は縁もゆかりもない青森放送局。「どんなに辛くとも耐えられる新入社員」が送り込まれる名所らしい。どうやら体育会野球部出身ということに目をつけられたのだ。半年近く雪に埋もれる地で4年間、現場の取材に奔走した。そして、東京・芸能番組部へ。以来、25年間にわたり紅白歌合戦の演出やプロデュースをはじめ、さまざまな番組を手掛けてきた。その間、数えきれないほどの窮地に何度も追い込まれてきたが、その都度、前向きに乗り越えることができたのは、慶應野球部で教わった“魔法の言葉”があったからである。

〝Enjoy Baseball!〟

二浪してようやく入った憧れの慶應。そして、夢の野球部。そこで出会ったのは、前田祐吉監督が唱える、このアメリカ流の精神だった。今では甲子園の試合中に笑顔を見せる選手たちの姿が普通になったが、当時の高校野球は、笑顔もダメ、水も飲んではいけないという風潮の時代。「楽しんで野球をやる」などという発想は皆無だった。そんな「野球道」世代の私に「エンジョイ!」という言葉がいかに衝撃的だったか。慶應野球部でこの精神に出会ったからこそ、私はその後のサラリーマン生活における数々のピンチを乗り切ることができたのだと実感している。

そして、その最大のピンチが入局17年目、41歳の時に訪れることとなる。

2004年7月、NHKは未曽有の不祥事に大揺れに揺れた。「芸能番組部・紅白チーフ・プロデューサによる番組費の横領事件」だ。私の先輩が複数の番組費を架空請求して着服していた事件は“文春砲”により発覚し、全国的な受信料の不払い運動に発展した。私を含め管理職は連日、警視庁の取り調べを受けることとなった。NHKの収入は激減し、番組費は削減の一途をたどった。当然、紅白も例外でなく、むしろ「紅白廃止論」がNHKの特別番組で議論されるまでの事態となっていた。それでもこの年の紅白は経費を大幅に削減して放送。「マツケンサンバ」や大人気となった韓国ドラマの俳優、イ・ビョンホンが出演したが、世帯視聴率は39.3%(前年45.9%)と、史上最低の30%台という結果となった。

予算規模も破格なだけに国民の厳しい目が注がれる紅白。「2005年の結果次第では廃止もあり得る」という通達が芸能番組部にもたらされた。56年の歴史に終止符が打たれるのか、まさに崖っぷちの国民的番組「紅白」。背水の陣を敷く紅白幹部たちは、視聴率男の異名をとる民放の雄、みのもんたの司会者起用を決めた。そして、彼の担当に何と私を名指してきたのである。テレビ界の“猛獣”みののパワーを借りながら紅白の威信を回復する。そのミッション達成の責任が私の肩に重くのしかかって来たのだ。

紅白の司会者との本格的なやりとりは、12月28日の台本打合せからスタートする。29日はNHKホールで出場歌手たちの音合わせリハーサル、30日からは本番と同じ進行で行うカメラリハーサルの後半部分(午後9時から11時45分)、そして、当日の31日は前半部分(午後7時30分から9時)のカメラリハーサルを行い、全てのリハ―サルが終了するのが、夕方5時くらい。本番の2時間半前という慌ただしさだ。

紅白歌合戦のリハーサルに臨む三溝敬志さん(左端)
紅白歌合戦のリハーサルに臨む三溝敬志さん(左端)

みのと私の共同作業は28日から始まった。終始ごきげんな御大、打合せ終了後は「一緒に飲もう!」と誘ってくれた。担当者の私に対するねぎらいの気持ちからだろうが、ここからが大変だった。次々と馴染みのクラブを渡り歩き、ホステスとともに盛大に飲み上げる。ニッカの「鶴」という市販されていない最高級のウイスキーを、ブランデーグラス一杯のクラッシュアイスの中に注ぎ、全員で一気飲みすることを永遠と繰り返す。かの横綱、朝青龍もついにはダウンしたという逸話のある「みの飲み」である。酒は弱い方ではないし、野球部下宿先の名物中華「英枝」(えいし)で先輩たちから鍛えられもした。が、この飲みは尋常ではない。朝3時にはワイドショーの迎えの車が来るというみのを自宅に送り返すまで、ヘトヘトになりながらお付き合いし、その後はみの用のカンペ作りのため、NHKへ戻らねばならない。2日間にわたり「みの飲み」の洗礼を受け、夜は明け方まで作業。睡眠時間1時間という日々の中で、本番まであと2日を迎えた。

30日のカメラリハーサルは本番同様、司会も参加して台本通りに行われる。ここで“猛獣”がまさに火を吹いた。「時間がない」ことで知られる紅白の舞台では、司会者は決められた内容を時間内に話すことが必須となるが、みのは全く台本通りにしゃべらないのだ。台本では2分のところを10分もしゃべり続けると思ったら、今度は演出が気に入らないとリハーサルを止めてしまう。現場は混乱の極致に達した。当然、文句は「みの担」である私に集中する。「何とかしろ!」という罵声を浴びながら、なすすべなくリハは終了。夜に入って台本の修正会議が行われた。ここで私は一つの提案をした。「これまでの慣習にとらわれず、みのにフリーでしゃべってもらうパートを作ったらどうか」。みのの原点はラジオ。紅白はラジオでも全国に放送していることを自分の言葉でしゃべりたいと訴えていた。「他のパートは私が責任をもって時間内に収めるから認めてほしい」と捨て身の覚悟で了承を得た。その日は、また深夜までみの用のカンペの修正を行い、結局一睡もできなかった。

31日、生放送当日。前半のカメラリハーサルも混乱の中で終了し、あとは修正した台本の内容を司会者に伝えるだけとなった。時間の関係でコメントを短くしてほしいと、みのに頼み込んだが、激怒して納得しなかった。本番まであと30分足らず。みのを説得できなかった徒労感と5時間以上に及ぶリハーサル疲れ。それに寝不足も重なって、さすがに野球部出身の私も心身ともに限界に近づいていた。がっくりした私の頭に浮かんだのは「Enjoy Baseball」…「エンジョイ紅白」。苦しい時ほど思い出しては励みにしてきた魔法の言葉である。胸の中で何度も唱え、勢いペットボトルの水を飲み干したとたん、全身から一気に汗が吹き出した。不思議に疲労感が回復し、何か吹っ切れた気持ちになった。

松井秀喜さん(右)と紅白歌合戦の中継に臨む三溝敬志さん
松井秀喜さん(右)と紅白歌合戦の中継に臨む三溝敬志さん

本番で見せたみのの司会ぶりは実に大したものだった。自分流に曲紹介をしながら時間内に収めていくテクニックはさすがというほかない。この人に紅白を託したことは間違っていなかった。そして、いよいよラジオのパート。ラジオへの思い入れを朗々と訴えかけるみのしゃべりに観衆は聴きほれた。ここは想定時間を大幅に超えてしまったが、私には他で取り返せる自信はあった。

みのの奮闘のおかげで視聴率は42.9%と目標の40%台に回復した。紅白の存続が決定し、私も重責を果たすことができた。本番終了後、私はみのに感謝の意味を込めて「よい勉強をさせてもらいました」と、この激闘の4日間のお礼を告げた。満足げにうなずいてくれたみのは私にこう言い返した。「君は砂のような人だね」。私は今でもこの誉め言葉を大切に胸にしまっている。

昨年、三田キャンパスで開かれた企画展で、前田監督の直筆ノートが展示された。そこには「Enjoy Baseball」の意味が記されている。「Enjoy Baseball」とは「全員が自分の役割を果たす」「Bestを尽くす」、そして「工夫と創造の楽しみ」と書かれている。「エンジョイ」とは、単に辛いことでも楽しんでやろうということだけでなく、窮地に陥った時でも自分なりの「工夫と創造」で乗り切りきること。そこにこそ真の「エンジョイ」があるのだ、そう前田監督は伝えたかったのではないだろうか。酒も体力も、そして何でも吸収できる心も、全て慶應野球部で得たことである。この紅白で私が実感した「エンジョイ」は、終生忘れることはないだろう。

紅白歌合戦出場者と面接する三溝敬志さん
紅白歌合戦出場者と面接する三溝敬志さん

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